
SHUICHI
KONDO
( 岐阜県恵那市 近藤秀一税理士事務所)


こんどう しゅういち
近藤 秀一
▶昭和30年生まれ 69歳
(妻、子供5人、孫7人)
▶恵那市在住「税理士」
▶京都大学公共政策大学院修了
▶「何歳までも生き生きと」
をモットーに日々健康を更新中
経歴
平成七年
平成十年
~
平成十一年
平成十二年
平成十五年
平成十七年
平成十八年
平成二十年
平成二十三年
平成三十年
―my profileー
・恵那市議会議員当選
・愛知大学大学院法学研究科
公法学修士課程 修了
・中京大学出講
(公務員試験講座行政法担当)
・中国、天津市南開大学にて客員講師
・慶應義塾大学大学院法学研究科
研究生
・名城大学大学院商学法学研究科
修士課程修了
・近藤秀一税理士事務所 開業
・名城大学大学院商学法学研究科
博士課程修了
・慶應義塾大学現代政研究会幹事
・日本大学出講(公務員試験講座)
財政学担当
・京都大学公共政策大学院
公共政策研究科 修了
・公共政策研究会 代表就任
その他
・元大井第二小PTA会長
・亀の会 会長

責任のある判断をするために学び続ける
平成7年に恵那市市議会議員に当選してからの日々で痛感したことは、印象や経験などの浅い価値観で物事を判断をするのではなく、深く経済、地方財政、法律のことなどを勉強しなければ、
市議会においても確かな根拠を持った判断ができないのではないかということでした。
そこで当選の翌年、公共学を学ぶため愛知大学大学院に入学しました。その後も名城大学大学院商学研究科や慶應義塾大学法学研究科などを修了し、当時の大学教授の勧めで京都大学の公共政策大学院を受験することになりました。
遠距離の通学、膨大な課題に苦労しながらも、何とか56歳で卒業でき、いくつかの新聞にも紹介していただきました。(次ページ)
岐阜県教育委員会の元教育長さんにお呼びいただき、
「いくつになっても学び続けることは素晴らしいこと、生涯教育の見本だ」だとお言葉をいただきました。
江戸末期の儒学者、佐藤一斎先生は「壮にして学べば、則ち老いて衰えず」という言葉を残しておられますが、
私も生きている間は常に学びを続けていきたいと考えています。
そして、自分が学んだことを地域のために生かしていきたいです。



中学校にて実施した[税務教室]
その他各地で講演会なども実施しています

~第二のふるさととなった恵那市~
私自身が数十年前魅了され、虜となったように
日本中や世界中の方にも、「恵那ならではの魅力の輪」が
もっと広がればいいなと思います。
向こう数年でリニアも開通し、人々の移動が豊かになるからこそ
少しでも多くの人に恵那の良さを伝えたい。
また、すでに在住のどんな世代の方にも「生き生きとした」充実した毎日が送れるように
貢献させていただきたいと考えています。
自身がこれまで学んできた全てを駆使して
お世話になった恵那の方々のために
汗をかき続けられるような人でありたいと今日も思います。
Thank you for browsing our website.


‐Story of Shuchi-
恵那市に来るまで
北海道で生まれ、小1で母親、高2 で父親が亡くなりました。
高校卒業後、北海道から単身で大阪へ出てきて、住み込みで新聞配達をしながら予備校に通い、
翌年名古屋の愛知大学法学部に入学しました。ここでも朝4時から新聞配達を続け、
仕送りなど一切受けることなく自力で4年間で大学を卒業しました。
卒業後は名古屋に残り、司法試験の勉強を続けました。
28歳の6月30日に名古屋の熱田神宮の鳥居の前で30cmほどの生きた亀を拾いました。
ちょうどその時、熱田神宮の宮司さんで神宮の歴史を研究していらっしゃる
60歳代(男性2人)の方が亀を抱えている私の姿に走り寄ってきて、
熱田神宮に昔から伝わるという由来を話してくれました。
「30年に一度、鳥居の前で亀を拾う青年がいる」
妻とも熱田神宮で出会い、熱田神宮で結婚式を挙げました。
平成4年から恵那市に移り住み、5人の子供に恵まれ、多くの方に支えていただき現在に至っています。




「亀の会」の設立
熱田神宮で亀を拾い、宮司さんの話をお聞きしたこともあり、
「亀のように焦らず、じっくり、
人の喜ぶことをして社会の貢献していきたい」
との願いから「亀の会」を設立いたしました。
月に一度、多様な分野の講師の方にも来ていただいて勉強会を開いたり、
地域貢献などの活動をしたりしています。